2026-09-08 コメント投稿する ▼
本田由紀氏「遺伝」発言 音喜多氏が問うキャンセル文化の危うさ
音喜多氏は、皇族費のあり方や皇室制度そのものへの批判は自由であるとしながらも、制度への異議申し立てと、特定の個人への否定的な評価を「遺伝」や「血筋」といった、本人が選択できない属性に結びつけることの危険性を指摘しています。 音喜多氏は、差別的と受け取られる言説に対しては、はっきりと「差別的である」と指摘する批判自体は必要不可欠であるとしながらも、それは「キャンセル」とは根本的に異なると強調します。
本田教授のSNS発言、広がる波紋と根拠
発端は、東京大学大学院教育学研究科の本田由紀教授が、SNS上で皇室関連の報道を引用する形で「この人たちを目にするたびに、遺伝的要因のおそろしさを感じる」と投稿したことです。
この投稿は、皇族という個人の出自を「遺伝」という生物学的な要因に結びつけるものとして、「差別的」「不適切」との批判が噴出しました。本田氏が会長を務める日本教育学会には、倫理委員会での対応を求める声も寄せられ、事態の沈静化には至っていません。
音喜多氏は、皇族費のあり方や皇室制度そのものへの批判は自由であるとしながらも、制度への異議申し立てと、特定の個人への否定的な評価を「遺伝」や「血筋」といった、本人が選択できない属性に結びつけることの危険性を指摘しています。これは、本人が生まれながらに持つ不利をその責任に帰すべきではない、という教育社会学が長年積み上げてきた知見そのものであり、本田氏自身もこれまで訴えてきたはずだと、音喜多氏は論じています。
説明の「解説」と「曲解」主張の限界
批判の高まりを受け、本田教授は後に書面を公表。「遺伝的要因」という言葉は、個人の生得的な特徴を侮蔑する意図ではなく、血縁者を公的に優遇しようとする「政治的ネポティズム」への批判を意図したものであると説明しました。さらに、今回の批判は投稿の意図が「曲解」されたものであるとも主張しています。
しかし、音喜多氏は、この説明が「解説」に留まり、当初の投稿に対する「お詫び」や「謝罪」の言葉が見られない点を問題視しています。写真付きの投稿への反応として「この人たち」と個人を特定するような書き出しは、投稿者や読者にとって、人物そのものへの評価だと受け取られるのが極めて自然な読解であり、「曲解」という主張には無理があると指摘しました。
「意図の説明と、受け取られ方への責任は別物」という音喜多氏自身の経験に基づく見解は、発言者がその言葉の社会的な影響や受け止められ方に対して、いかに真摯に向き合うべきかを示唆しています。
「キャンセルカルチャー」の構造と「排除」の危険性
音喜多氏は、一部から本田氏に対する「役職を辞めろ」といった過剰な要求には賛同しない立場を明確にしています。その理由として、近年、社会問題化している「キャンセルカルチャー」の構造に言及しています。
キャンセルカルチャーの本質は、当事者への直接的な反論ではなく、その所属組織やスポンサーといった第三者に圧力をかけ、関係断絶を迫る点にあると分析。組織側は、社会的なリスクや対応コストを避けるために、言説の当否を十分に判断する前に、安易に関係を切ることを選択しがちだと指摘します。
結果として、言論への応答が、建設的な議論ではなく、相手を追い詰める「兵糧攻め」の様相を呈してしまうと警鐘を鳴らしています。さらに、キャンセルには終わりがなく、謝罪しても「反省が足りない」、「説明すれば『言い訳だ』」とされ、社会的な制裁が「出口のないもの」となってしまう実態を、「排除」に他ならないと厳しく批判しています。
「批判」と「キャンセル」の峻別、そして説明責任
音喜多氏は、差別的と受け取られる言説に対しては、はっきりと「差別的である」と指摘する批判自体は必要不可欠であるとしながらも、それは「キャンセル」とは根本的に異なると強調します。
批判は、相手に応答の機会を残し、議論を深めるプロセスである一方、キャンセルは、発言の場そのものを奪い、議論を一方的に終わらせる行為だと定義しました。学会の倫理委員会が手続きに則って検討することは前者であるとし、ネット世論が職を奪うような動きは後者にあたると対比させ、その手法の違いを明確にしました。
それでもなお、音喜多氏は本田氏に対し、辞任や職を奪うことを求めるのではなく、自身の言葉で「なぜあの表現を選んでしまったのか」「なぜ差別的と受け取られかねない言葉を使ってしまったのか」という根本的な問いに向き合い、その背景を語ってほしいと求めています。
「処分より説明」が社会を変える道
音喜多氏は、本田氏が自身の言葉で発言の背景や真意を丁寧に説明することこそが、社会への誤解を解き、建設的な議論を促す、辞任よりもはるかに価値のある社会への貢献になると主張します。
「処分より、説明を。」この粘り強い説明の積み重ねによってしか、現代社会に広がる息苦しい空気は変わらない、というのが音喜多氏の結論です。
発言の意図を誠実に伝え、受け取られ方への責任を果たすこと。このプロセスこそが、分断を乗り越え、社会全体の相互理解を深める鍵となると、音喜多氏は提言しています。