2025-07-11 コメント: 1件 ▼
米山隆一氏「日本人ファーストは日本人ラストに」発言に賛否 外国人政策めぐる議論が拡大
米山隆一氏が「日本人ファースト」を批判 “排斥”がもたらすのは「日本人ラスト」だと警鐘
「日本人ファースト」に疑問呈した米山隆一氏の投稿が波紋
立憲民主党の米山隆一衆院議員が、外国人政策に関する持論をX(旧Twitter)で発信し、ネット上で賛否両論を巻き起こしている。
発端は、一般ユーザーによる「さすが立憲民主党です 日本人ファーストには断固反対!」という皮肉交じりの投稿。これに対して米山氏は、「一見日本人ファーストに見える外国人排斥は、日本を世界から遅らせ、日本人ラストになります」と反論。さらに、「世界から人材を集める開かれた国になることによってこそ、日本は再び“Japan is the first(No.1)”となれる」と持論を展開した。
この投稿は瞬く間に拡散され、支持と批判、両方の声が噴出する事態に。
「多様性を受け入れなければ日本は衰退するだけ」
「外国人がいなければ成り立たない業界はもう多い」
「受け入れるのはいいが、法整備も秩序も追いついてない」
「ルールを守らない外国人がいるから嫌われる、それだけ」
「すべての外国人を排斥してるわけじゃない。分けて考えようよ」
“開かれた国”か“足元の暮らし”か 揺れる世論
米山氏の投稿は、「多様性」や「人材の流動性」を重視するグローバル志向の姿勢を示すものだったが、保守的な層からは「それは理想論にすぎない」との反発もある。
実際、少子高齢化と労働力不足を背景に、外国人の就労・定住は年々増加している。一方で、言葉や文化、マナー、犯罪やトラブルといった問題も指摘され、現場では日本人と外国人の間に摩擦が生じているのも事実だ。
「“開かれた国”にするためには、まず日本人の足元をしっかり固めてからでは?」という慎重派の意見も根強い。とくに地方では、生活インフラや学校現場、福祉などへの外国人対応の負担が増えており、「現実と政治家の感覚が乖離している」との声も少なくない。
“日本人ファースト”は本当に排外主義なのか?
ここ数年、「日本人ファースト」という言葉が登場するたびに、「差別だ」「排外主義だ」というレッテルが貼られる傾向がある。しかし、すべての主張が排外主義というわけではなく、実際には「まず日本人の生活を立て直してから、共生を進めるべきではないか」という“順序”の議論であるケースも多い。
そのため、米山氏の「日本人ファースト=排斥」という構図に違和感を覚える人も一定数いる。
とくに今回の参院選では、「外国人優遇」や「過度な共生政策」に疑問を抱く有権者も増えており、「国のあり方」を問う議論が広がっている。
共生社会に必要なのは“理想”より“実装”
米山氏のような“理想型”の多文化共生論と、足元を見据えた“現実型”の生活重視論。この両者がぶつかるのは、ある意味では健全な民主主義の証だ。
だが、議論が空中戦になってしまっては意味がない。実際に必要なのは、共生社会を支える制度整備、教育環境、日本語教育、法の整備、秩序の確保、そして何よりも国民への丁寧な説明と合意形成である。
「開かれた社会を作る」という理念だけが先行し、足元の暮らしが崩れていけば、それこそ“日本人ラスト”という皮肉が現実になる可能性も否定できない。
今こそ、「誰を排除するか」ではなく、「どう共に生きていくか」の具体的なビジョンと実行力が、政治家にもメディアにも問われている。