2025-10-23 コメント: 1件 ▼
維新・藤田氏「消費減税は事実上先送り」 副首都構想優先で国民の生活を犠牲に
自民党側は、この構想を政権合意の“目玉政策”として容認したが、その代償が「減税棚上げ」であるとすれば、国民生活を犠牲にした取引政治と言わざるを得ない。 藤田氏が語ったように、高市首相が減税に前向きであったにもかかわらず、党内調整を理由に後退した事実は、政治の責任放棄そのものである。
消費減税“事実上の先送り” 維新の豹変に国民の怒り
「副首都構想優先」で減税棚上げ、自民との取引政治に不信拡大
日本維新の会の藤田文武共同代表は23日、ニッポン放送の番組で、自民党と結んだ連立政権合意書に盛り込まれた「2年間の食料品消費税ゼロ」について「事実上先送りになった」との認識を示した。
藤田氏は番組で、「高市早苗首相(自民党総裁)自身は減税に前向きだった」としたうえで、「短期間で自民党内をまとめ上げるのは厳しかった」と説明。さらに、「消費税に関する記述自体を合意書から除く案も当初は出ていた」と明かした。
この発言は、衆院選で「減税こそが国民生活の再建策」と訴えてきた維新の姿勢と真っ向から矛盾するものであり、有権者への重大な裏切り行為と断じざるを得ない。
「副首都構想」のための取引 減税は切り捨てられた
今回の連立合意は、自民党と維新が2025年10月中旬に締結したもので、柱には「副首都構想」「防衛装備品輸出の見直し」「旧姓の通称使用の法制化」などが盛り込まれている。一方で、国民が最も切実に求めていた消費減税は“検討”止まりとされ、時期も手法も明示されなかった。
特に問題なのは、維新が選挙公約で掲げた「消費税5%への減税」「食料品の消費税ゼロ」などが政権協議でほぼ消滅したことだ。藤田氏自身が「実現は先送り」と明言したことは、つまり国民への公約破棄の自白にほかならない。
維新がここまでして連立にこだわった背景には、「大阪・関西を軸にした副首都構想」の政府公認があるとみられる。自民党側は、この構想を政権合意の“目玉政策”として容認したが、その代償が「減税棚上げ」であるとすれば、国民生活を犠牲にした取引政治と言わざるを得ない。
減税を求めた民意を踏みにじる「政治ごっこ」
2024年衆院選で多くの有権者が求めたのは、「物価高で苦しむ国民の家計を支える減税」だった。にもかかわらず、政権与党と維新の合意はその期待を裏切った。
藤田氏が語ったように、高市首相が減税に前向きであったにもかかわらず、党内調整を理由に後退した事実は、政治の責任放棄そのものである。
経済学的にも、現下の実質賃金下落と消費低迷は「税負担と物価上昇のダブルパンチ」に起因している。食料品消費税を一時的にでもゼロにすれば、年間で平均世帯あたり約8万円の可処分所得増となる試算もある。それを「検討中」に留めたまま、副首都構想など地域利権色の強い政策を優先したのは、政治判断の順序が完全に逆だ。
有権者の視点からすれば、もはや「維新は改革政党ではなく、与党化した取引政党」に見えているだろう。選挙戦でのスローガン「身を切る改革」とは裏腹に、実際には“国民の可処分所得を切り捨てる”方向へと舵を切った。
政治の信用を損なう「先送り」という方便
「事実上の先送り」という表現は、政治用語において最も都合の良い逃げ口上である。実施時期も決断も明示せず、将来的な議論に含みを持たせることで、責任を曖昧にする。過去にも自民党政権は同じ手法で「検討中」を繰り返し、結果的に増税へと転じてきた経緯がある。
藤田氏の発言もその延長線上にあり、維新が自ら主張してきた「決断と実行の政治」とは真逆の行動だ。副首都構想や規制緩和のような構想論を優先する一方、家計を直撃する減税を棚上げする姿勢は、国民の政治不信をさらに深めるだけである。
筆者として率直に言う。国民の最優先課題は、地方再編でも行政改革でもなく、「物価と税負担に苦しむ生活の再建」である。
それを見誤り、国民が求める経済政策を「政権交渉のカード」に使うような維新の態度は、理念なき取引政治の典型だ。
維新は「改革政党」ではなく「妥協政党」と化した
かつて維新は、「既得権を壊す」「国民に還元する」ことを旗印にしてきた。だが今回、連立のために消費減税を後回しにしたことで、国民への信頼を自ら捨てた。
国民が最も求めた「減税」という生活防衛策を蔑ろにし、政権入りの実利を優先したその姿勢は、“改革”を掲げた仮面の下に潜む打算と自己保身を露わにした。
今や維新は、改革勢力ではなく「自民補完勢力」として国民の前に立っている。副首都構想を進める前に、まず国民の生活を守る政策を実行するべきだ。
藤田氏の「先送り」発言は、維新が政権内でどれほど実権を握れていないかを示す証左であり、国民はその“本性”を見抜き始めている。
このままでは、維新が掲げてきた「日本を変える」という言葉は、空洞化したスローガンに堕ちるだろう。国民の生活を最優先にしない政治に、未来はない。