2025-08-22 コメント投稿する ▼
なぜ68歳で日本国籍を取得し70歳で都議選に挑んだのか 在日コリアン金正則さんの半生
68歳で日本国籍取得、70歳で都議選に挑んだ理由
在日コリアンとして生まれ育った金正則さん(70)は、長年「善良な在日」として日本社会に根を下ろし、家族を築き、事業を成功させてきた。だが68歳の時、日本国籍を取得し、70歳で東京都議選に立候補するという大きな決断を下した。その背景には、幼少期からの「出自を隠す不安」と、社会に広がったヘイトスピーチに直面した衝撃と怒りがあった。
九州で生まれた金さんは、通称の日本姓で学校に通いながらも「朝鮮人だと指摘されないか」と常に震えていたという。就職活動でも「外国人だから採用できない」と拒まれることが続いたが、民族名で働ける会社に出会い、広告業界で実績を重ねた。その後、自らマーケティング会社を立ち上げ、日本名を使わずにビジネスの世界を生き抜いた。「仕事は結果で評価される。名前で不利益を感じたことはなかった」と振り返る。
転機となったヘイトスピーチ
社会に受け入れられているという実感を持ちながら暮らしていたが、2000年代以降の排外的な言動に衝撃を受けた。2002年の北朝鮮による拉致問題の表面化を契機に、ネットや街頭で在日コリアンを排斥する声が急増。2013年には新大久保などで「良い韓国人も悪い韓国人も殺せ」という過激なヘイトスピーチが飛び交った。
この言葉は、善良に生きていれば社会に認められると信じてきた金さんの思いを打ち砕いた。「自分だけが黙っていても何も変わらない」と気づき、反ヘイトの活動に加わるようになった。カウンター行動に参加し、排外デモに抗議の声を上げる日々が続いた。
日本国籍取得と選挙挑戦
2021年、武蔵野市で外国籍住民にも住民投票権を与える条例案が否決されたことが大きなきっかけとなった。「地域社会の一員なのに、住民投票すら認められないのか」と憤りを覚えた金さんは、2023年に日本国籍を取得。「選挙に出て日本社会を変えなければ」と考えた。
2025年6月、70歳で都議選杉並区選挙区に立候補。スローガンは「私の幸せは『私たちの幸せ』の中にある」。街頭では「立候補してくれてありがとう」と支持の声を受ける一方、SNSでは「帰化を取り消せ」「在日は日本の政治に口出すな」といった誹謗中傷も浴びた。結果は落選だったが、2326票という数字に「こんなにも自分の名前を書いてくれた人がいた」と手応えを感じた。
民主主義への参加とこれから
金さんが初めて投票所に足を運んだのは、日本国籍取得後の2024年衆院選だった。69歳で初めて「一人一票」の仕組みを体験し、「この国で生まれながら、民主主義に参加できずにきた」と痛感したという。
選挙を通じて見えたのは、共感と支持、そして依然として根強い排外主義の両面だった。金さんは「ヘイトスピーチは人を殺す。止めることは人を生かすことだ」と語り、これからも排外主義と闘う姿勢を崩さない。
在日としての半生を経て、人生の晩年に日本国籍を取得し政治の世界に飛び込んだ金さんの歩みは、差別と共生、そして民主主義の在り方を社会に問いかけている。