2025-08-11 コメント投稿する ▼
平野雨龍氏「卵の側に立つ」23万票の支援に感謝 ウイグル人権侵害への責任と揺るがぬ決意
平野雨龍氏、23万票の支援に感謝 現代の人権侵害に「同じ時代を生きる者の責任」
ウイグル問題への揺るがぬ決意
2025年の参院選東京選挙区で23万票を獲得し、全国的にも注目を集めた平野雨龍氏。落選という結果にもかかわらず、氏は選挙後すぐにSNSで感謝の意を示し、自らの政治姿勢と今後の活動方針を改めて発信した。
私は人権侵害を見て見ぬふりする人間ではありません。日本のためだけに生きる人間でもありません。ウイグル強制収容所も、必ず解放しなければいけないと強く責任を持っています。
平野氏はこれまでも、中国・新疆ウイグル自治区で行われているとされる大規模な人権侵害に強く抗議し続けてきた。アウシュビッツの悲劇には直接的な責任を負わないが、それは自らがその時代を生きていなかったからだと説明する。一方、現代に進行しているウイグルの人権侵害については「同じ時代を生きる者として責任を持つ」と明言した。
アウシュビッツに責任は持っていません。その時代を生きていなかったから。しかしウイグルジェノサイドには責任を持っています。私が同じ時代を生きているから。
6年間続く中国への警鐘
平野氏は過去6年間、一貫して中国の人権侵害や軍事的脅威に警鐘を鳴らしてきた。ウイグルだけでなく、チベットや南モンゴルなど複数の地域で行われている文化弾圧や言語の制限にも反対を表明してきた。選挙戦でもこうしたテーマは演説の中心に据えられ、国内の外交政策の在り方にも踏み込んだ発言を繰り返した。
日本のため、そして弾圧されている民族のために。そしてこれからも、その姿勢は変わりません。
平野氏の発言は、日本国内の一部有権者から熱い支持を集めた一方、中国との関係を重視する層からは批判も浴びた。それでも氏は「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れる卵があるなら、私は常に卵の側に立つ」と述べ、権力や抑圧に対して弱者の側に立つ姿勢を明確にした。
高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵がある時、私は常に卵の側に立ちます。
政治活動家としての歩みと背景
平野氏は1994年生まれ。和文化を背景にモデルや雅楽の演奏者として活動してきたが、香港の民主化運動を支援したことをきっかけに政治活動家として知られるようになった。以後、ミャンマーやロヒンギャ難民、ウクライナ支援など幅広い国際人権問題にも関わり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への寄付も継続している。
今回の参院選では、こうした活動実績と国際的視点を前面に押し出し、移民・難民政策や対中政策で明確な立場を打ち出した。結果として東京選挙区で23万票を得る健闘を見せたが、議席には届かなかった。
次の戦いに向けた準備
落選後も、平野氏は政治活動を止める気配はない。選挙直後の投稿で「次の戦いに向けて準備中」と述べ、既に全国規模での活動を視野に入れている。特に、ウイグル問題をはじめとする人権啓発のための資料配布や講演会は継続中で、全国各地の支援者に向けて数千部単位で冊子を送付している。
今後の焦点は、こうした人権外交を日本の政治課題としてどこまで浸透させられるかだ。外交・安全保障政策の中で人権問題を優先する姿勢は、国内では賛否が分かれやすい。しかし平野氏は、国益と人権の両立は可能だとし、国際社会との連携を重視する立場を貫いている。
23万票という数字は、単なる選挙結果以上の意味を持つ。人権問題や国際的な抑圧への関心を高めたいという有権者が、確実に一定数存在することを示している。平野雨龍氏が今後、どのように政策を具体化し、支持基盤を広げていくのか。その動向は、日本の人権外交のあり方を占う指標となる可能性が高い。