2025-05-29 コメント: 1件 ▼
社民・新垣副党首が西田議員の「ひめゆりの塔」発言を糾弾 沖縄戦の記憶を巡る国会論戦
「ひめゆりの塔」発言に新垣副党首が猛反発
5月29日の衆議院沖縄北方特別委員会で、社民党副党首の新垣邦男衆院議員が、自民党の西田昌司参院議員による「ひめゆりの塔」に関する発言を厳しく糾弾した。西田氏は5月3日に那覇市で行われたシンポジウムの場で、同塔の説明内容を「ひどい」「歴史の書き換え」と断じ、戦時下で命を落とした多くの女子学徒への慰霊の場に対する不適切な評価を行った。
これに対し新垣氏は、「沖縄戦の史実を歪曲し、体験者証言や戦後80年にわたり積み上げられた研究を愚弄する許し難い暴言だ」と強く批判。「多くの県民を深く傷つけた」として、西田氏の認識と発言の責任を正面から追及した。
沖縄戦の歴史と「ひめゆりの塔」の重み
「ひめゆりの塔」は、第二次世界大戦末期の沖縄戦で従軍させられた女子学生たち—通称「ひめゆり学徒隊」—の慰霊のために建立されたもので、沖縄県民にとって戦争の惨禍と悲劇を象徴する重要な場所である。
戦時中、ひめゆり学徒隊の多くは野戦病院に動員され、最前線で看護に従事した。終戦間際、米軍の攻撃の中で「解散命令」が出され、生徒たちは行き場を失い、洞窟での集団自決や爆撃により200人以上が命を落とした。
その史実は、証言や資料により長年かけて記録され、地元住民や遺族、研究者の努力によって語り継がれてきた。西田氏の発言は、そうした努力を否定し、慰霊の意味までも軽視するものとして、大きな波紋を呼んでいる。
「ひめゆりは沖縄の魂。侮辱は絶対に許されない」
「あの発言は歴史を知らない人の無責任な放言だと思う」
「現地に足を運び、真実に耳を傾けてから語るべきだ」
「政治の立場がどうあれ、亡くなった人たちへの敬意は忘れるな」
「教育と追悼が同居する場所への暴言は、絶対に慎まないといけない」
沖縄担当相は「歴史的事実」として認識示す
新垣氏は委員会の場で、伊東良孝沖縄担当相に対してもこの問題に対する政府の認識を質した。伊東氏は答弁の中で、「沖縄戦は、一般の住民を巻き込んだ苛烈な地上戦であり、筆舌に尽くしがたい苦難を経験されたのは紛れもない事実」と明言。さらに、首相(当時)の石破茂氏がかつて国会で謝罪した立場に言及し、「私も同様の認識をしている」と述べた。
この答弁により、政府側は少なくとも沖縄戦の歴史的事実についての否定や軽視を避け、既存の認識を踏襲する姿勢を示したといえる。
ただし、自民党内から出た発言である以上、党としての説明責任は免れない。特に西田氏は党の有力議員であり、その影響力の大きさを考えれば、個人の発言として矮小化するには限界がある。
戦争の記憶と「歴史修正主義」の危うさ
今回の問題は、単なる一議員の失言にとどまらない。戦後80年を目前に控える今、各地で戦争の記憶が風化しつつある中、「歴史修正主義」ともいえる言動が散見されるようになってきた。そうした発言が現実の政治の場に影響を及ぼし始めたとき、過去の記憶と責任はどうあるべきなのかという根源的な問いが突きつけられる。
ひめゆりの塔のような記憶の場は、悲劇を再び繰り返さないための警鐘である。そこに対する敬意や理解を失えば、国家としての歴史認識が揺らぐことにもつながりかねない。西田氏の発言に対する批判は、そうした危機感の表れでもある。
政治家の言葉の重みを今こそ自覚すべき
政治家の発言は、社会に与える影響が大きい。特に戦争に関する発言は、遺族や被害者の尊厳に関わるものであり、極めて慎重さが求められる。
新垣副党首の国会での糾弾は、沖縄戦を生き延びた人々や、戦後の平和を希求してきた多くの県民の声を代弁するものだった。今後、与党側がこの問題にどう対応するかが、沖縄と国政の関係性にも大きな影響を与えるだろう。
戦争の記憶と向き合う姿勢は、政党の本質を問う鏡でもある。発言の意図や真意を丁寧に説明し、必要ならば訂正や謝罪を行うべきであり、それを避けるような姿勢こそが、国民の政治不信を深める要因になるのではないか。政治家一人ひとりが、言葉の重みを噛みしめ、歴史の継承者としての責任を果たすべき時である。