2025-05-05 コメント投稿する ▼
福岡厚労相、パラオ・ペリリュー島訪問 遺骨収集を毎月派遣で加速へ【戦後80年の節目】
ペリリュー島の戦い 今なお眠る遺骨
ペリリュー島は、1944年9月から11月にかけて日米両軍が激突した戦場。推定で約1万2百人の日本兵が命を落としたとされる。戦後、政府主導で遺骨の収容作業が進められてきたが、これまでに収容されたのは約7,800柱にとどまっており、なお約2,400柱が現地に残されたままだ。
昨年(2024年)の調査では、島内で新たに「集団埋葬地」とみられる場所が確認され、少なくとも19柱分の遺骨が発見された。現地では1,000柱以上が埋まっている可能性もあり、長年放置されてきた遺骨の収容を急ぐ必要性が高まっていた。
2027年度までに作業完了を目指す
福岡大臣は、ペリリュー島でパラオ政府の担当大臣と会談。来年度から毎月、日本から遺骨収集団を派遣することを提案し、パラオ側もこれに協力する姿勢を示した。政府は、2027年度末までに現在確認されている集団埋葬地での収容作業を概ね完了させる方針を掲げ、実務レベルでの連携を一層強化する構えだ。
この日、大臣は「祖国に帰ることなく土に眠る戦没者を、少しでも多く家族の元へ返すことが、私たちの責任だ」と語り、現地の視察後には、現地関係者やボランティア団体にも感謝の意を示した。
障壁は自然の力 それでも前へ
ただし、作業は簡単ではない。ペリリュー島には、戦後80年の歳月の中で繁茂したガジュマルの大木が集団埋葬地に立ち並び、発掘作業を大きく妨げている。樹高30メートルを超える木々を伐採するには、特殊な技術と人員の確保が必要だ。厚労省は2025年度の関連予算を前年度比で倍増させ、技術者の派遣や重機の導入など、現地作業の体制を大幅に強化する方針だ。
いま、国としての責任を問う時
太平洋の小さな島に眠る戦没者たちの遺骨。遺族の高齢化が進む中で、政府として残された時間は多くない。戦後80年という節目に、日本政府が本格的な対応に乗り出したことは、大きな意味を持つ。
戦後日本の平和と繁栄は、多くの犠牲の上に築かれている。だからこそ、国として果たすべき責任を、いまこそ形にしていかなければならない。