2026-03-02 コメント投稿する ▼
大塚耕平元参院議員が死去66歳 民主党政権で副大臣 名古屋市長選落選後に体調不良で衆院選辞退
国民民主党代表代行などを歴任した元参院議員の大塚耕平(おおつか・こうへい)氏が2026年3月2日、心不全のため死去しました。 4期目途中で参院議員を辞職し、2024年11月の名古屋市長選に出馬しましたが落選しました。 国民民主党愛知県連は2026年2月投開票の衆院選で、愛知6区への擁立を検討しましたが、大塚氏側が体調不良を理由に辞退していました。
大塚氏は日本銀行職員を経て2001年、参院選愛知選挙区に当時の民主党から出馬し、初当選しました。民主党政権では内閣府副大臣や厚生労働副大臣を務めました。4期目途中で参院議員を辞職し、2024年11月の名古屋市長選に出馬しましたが落選しました。
国民民主党愛知県連は2026年2月投開票の衆院選で、愛知6区への擁立を検討しましたが、大塚氏側が体調不良を理由に辞退していました。
日銀からキャリアスタート
大塚耕平氏は1959年10月5日、名古屋市生まれです。名古屋市立田代小学校、名古屋市立城山中学校を経て、愛知県立旭丘高校、早稲田大学を卒業しました。早稲田大学卒業後に日本銀行に入行し、日銀職員として勤務しました。
日銀を退職後、2001年の参院選で旧民主党から愛知選挙区に出馬して初当選しました。以来、参議院議員を4期務めました。
民主党政権で副大臣
民主党政権では内閣府副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)や厚生労働副大臣(菅直人第2次改造内閣)を務めました。参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、参議院国家基本政策委員長などの要職も歴任しました。
党内では、民主党政策調査会長代理、民主党参議院政審会長、民進党参議院政策審議会長を務めました。2017年には民進党代表(第4代)に就任しました。
国民民主党の設立に参加
2018年5月7日、旧国民民主党共同代表に就任しました。9月4日実施の国民民主党代表選挙には出馬せず共同代表を退任し、同11日付で代表代行に就任しました。2019年7月21日の参院選で4選を果たしました。
2020年9月3日、愛知県庁で記者会見し、立憲民主党と国民民主党が解党して設立する合流新党(新「立憲民主党」)に参加しないと表明しました。この時点では玉木雄一郎氏らの「分党」側に加わるかどうかは明言せず、「今後さまざまな話を聞いて対応を決める」と述べるにとどめました。
9月7日、新「国民民主党」に加わる国会議員の募集が締め切られ、大塚氏が同党に入党を届けたことが明らかとなりました。9月15日に新「国民民主党」の設立大会が開かれ、代表代行に就任しました。2021年12月より党政調会長兼任を務めました。
名古屋市長選への挑戦
2023年4月27日、2025年に予定されている第27回参議院議員通常選挙には立候補せず、同年に任期満了を迎える名古屋市長選挙に無所属で立候補する意向を表明しました。2024年3月、新年度予算成立後に離党届を提出することを明らかにしました。同年3月29日に離党届を提出し、4月30日付で離党しました。なお、議員辞職まで「国民民主党・新緑風会」の会派には在籍していました。
その後、河村たかし氏が2024年10月15日に公示された第50回衆議院議員総選挙に立候補し、公職選挙法の規定で名古屋市長を退職(自動失職)したことで欠員が生じました。当初の予定よりも早く名古屋市長選挙が同年11月10日告示、24日に執行されることとなりました。
告示に先んじて、大塚氏は11月5日に参議院に議員辞職願を提出し、尾辻秀久参議院議長により辞職が許可されました。選挙戦では自民、公明、立憲民主、国民民主の各党の推薦を受け、河村市政の見直しなどを訴えましたが、投開票日の午後8時に、河村氏の後継者の広沢一郎氏の当選確実が報じられ、大塚氏の落選が確実となりました。
衆院選立候補を体調不良で辞退
2026年1月19日、国民民主党愛知県連は2月の第51回衆議院議員総選挙の愛知6区に大塚氏を擁立することを決めました。しかし大塚氏から体調不良を理由に立候補を辞退したい旨の申し出があり、県連は党本部への21日に公認申請を取り下げました。
その後、大塚氏は病気療養中でしたが、3月2日に心不全のため死去しました。
学者・著述家としての顔
大塚氏は政治家としての活動だけでなく、学者・著述家としても知られていました。藤田医科大学特命教授を務め、経済学者としても活動しました。
東海旅客鉄道労働組合(JR東海ユニオン)から推薦を受けており、JR連合の組織内議員で構成される「JR連合国会議員懇談会」の幹事を務めていました。
大塚氏は昨年まで中日文化センターの講師を務め、歴史や仏教を担当していました。「愛知四国霊場の旅」などの書籍も出版しています。
著書に『ジャパン・ミッシング - 消えた日本、再生のカギを考える』(オープンナレッジ社、2008年)、『弘法さんかわら版 - 弘法大師の生涯と覚王山』(大法輪閣、2008年)、『3.11大震災と厚労省 - 放射性物質の影響と暫定規制』(丸善、2012年)、『「弘法さん かわら版」講座 仏教通史』(大法輪閣、2015年)、『お遍路さん必携 四国霊場と般若心経』(大法輪閣、2017年9月15日)、『「賢い愚か者」の未来 政治、経済、歴史、科学、そして人間――「深層」へのアプローチ』(早稲田大学出版部、2018年2月)などがあります。
また、元中日ドラゴンズの投手・山本昌氏と親交が深く、山本氏は著名人ながら選挙の応援に入っていました。
政界からの追悼
大塚氏の訃報を受けて、政界からは追悼の声が相次いでいます。国民民主党や旧民進党の関係者からは、経済通として知られた大塚氏の功績を称える声が上がっています。
大塚氏は日銀職員という異色の経歴から政界入りし、経済政策や社会保障政策に精通した政治家として活躍しました。民主党政権での副大臣経験、野党第一党の代表を務めた経験など、日本の政治に大きな足跡を残しました。
名古屋市長選への挑戦は実らず、衆院選への立候補も体調不良で辞退せざるを得ませんでしたが、最後まで地元・愛知への貢献を目指していました。
大塚耕平氏のご冥福をお祈りいたします。